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記憶の化石

天谷春夫氏への手紙~偲ぶ会にて

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天谷春夫さんを偲んで

只今、ご紹介うけました木野田と申します。
天谷さんとはこれまで札幌のBephat写真クラブで共に写真を撮り、定期的に写真を講評し合い、時には一杯飲みながら写真について語ってきたBephatの仲間、そして自分にとっても大切な友人でした。昨年の今頃、年に1度のクラブの展覧会のキャプテンを体調不良のため降板されてからも、一時は体力を回復されたとのことで、ニコンの高級カメラを買ったんだと、バンエイ競馬にも行ってみたよと、でもやっぱり俺は大好きな美しい北海道の風景写真をいつまでも追っていたい
んだよなあ、と言っておられた。

5月のはじめ頃でした、その当時に頂いたメールを紹介いたします。
「kazuBさん、メ-ルありがとうございます。
BPのみなさんの活動をいろいろ見聞きし、すごいな、時間の制限もある中、精力的にやってるなと関心して見ています。 私の方はボチボチ撮っています。
やはり体力が肝心の撮影です。長続きしないのがちょっとくやしいところです。
泊まっても一泊か二泊が限界かな?
以前は美しい風景を追って、遠くまで、より遠くまで動き回っていたのですが、最近は近場でも目につくものはレンズを向けていることが、以前とは変わった点です。
花でも虫でも、町を歩く人でも、建物でも、何でもパシャパシャやっています。だって家にいる事の方がおおくて、
ぼやぼやしていると、全然新しい写真がなくなって、ただカメラをいじっているだけの奴になりそうですからねえ
(中略)
BPの皆さんのような、コンテンポラリーな写真はなかなかとれませんが、私も少しずつ幅を広げてみたいと思います。
また、メールいただけたらうれしいです。ありがとうございました。」

これが私への最後のメールとなってしまいました・

故人は大きな人でした。体も大きく、声もデカイ、写真のスケールもご覧のとおり大自然を被写体としたスケールの大きな人でした。そして熱血漢というのでしょうか?非常に明るい人でした。特に自分の写真の話になるとときには、やかましいくらい写真を語る熱い男でありながらまた、一方で間逆な感性をも認める懐の広い人でした。

今程紹介のメールにあったように、本当に写真の虫でした、体が思うようにならなくなってからも、撮ることを止めず、一点でも多くを記録しようとしていました。
その勇気とその写真記録は彼が生きてきた証であり、写真の本質というものも、またそういうことなのだろうと、私はつくづく思い知らされるおもいです。

先日の訃報を聞くまでは、もう1度、写真とは何か、写真の本質について激論することを僕は夢を見てたんです。

あれは、いつだったか、そうSIXsence展の撤収の8月の末日でした。
場所は先日佐々木さんと天谷さんが2人展をやった喫茶アース珈琲でのことです。

久しぶりでした、病気のことはそっちのけで二時間以上も写真の話で盛り上がった。
その時、帽子はかぶっていたけれど、眼を輝かして話す、以前の天谷さんと何も変わってはいなかったように思った。あの二時間は未来につなぐ現在を語っていたように記憶している。あの時、僕も本当に楽しかったし、天谷さんも本当に嬉しそうだった。
でも、帰り際、疲れた顔を見られるのは嫌だから、見舞いになんて来ちゃだめだよ!と気丈に振舞ってた。きっと心配させたくなかったのでしょう。
結局、その日が僕と天谷さんとの最後の日でした。
最後まで強くて優しいひとでした。

天谷さん
向こうでまっている伊藤真澄さんにもよろしく!

そして
「今まで本当にありがとうございました。」、「安らかにお眠りください。」、「これからもずっとみんなを見守っていてやってください」
あなたの肉体は滅んでも、あなたの残した写真は美しい記録、美しい記憶となって永遠に生き続けます。
じゃあ、またね。
さようなら。。
                  
                                   2012年11月30日 木野田和也
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by kazub22 | 2012-12-02 12:18

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