人気ブログランキング | 話題のタグを見る
ブログトップ

ROAST PHOTOGRAPH

northrn.exblog.jp

記憶の化石

根なし草 NO.3 室蘭+α

自分にとって今年前半の祭り、東川国際フェスタもほぼ満足に終わり、一息ついて後半の祭りBP展へと・・・そのまえにちょこっと旅立って、いいや、それより先に積ん読のシナリオ集、書籍の類を頭に入れてスケッチや散文を書いて遊ぼう~と。なのにな、なんだろう。結局頭の隅は写真から一時も離れようとできないんだな。昨日は春に旅した室蘭を長いあいだお休みしていた根なし草シリーズに製本した。

それはそうと、今年は春って季節がなくて、真冬から一気に真夏になった感じだし、そのせいなのか、それとも未だに秋の気配が感じられないせいなのか、暦と自分の季節感とか時間の経過が狂っているのか妙にのんびりと春の気分、なんていったらいいのか、つまりは1年の半分、折り返し時期をとうに過ぎているにも係わらず気分は一年がこれから始まるようななんとも奇妙な感覚なのです。
良く言えば時の過ぎることも気にならないくらい充実しているともいえるし、一方で無計画に時間だけが過ぎているとも言えなくもないのだが、結局は僕は四季のある北海道の人のはずが、気候がおかしくなったせいで冬と夏の2季の両極にまごついているのかなとも思ったりするのだった。

とはいえ元々、大雑把な計画らしき勝手な決め事はしても、予定は未定にニアイコールだし、例えば東川やBP展のように決められた展示日程というものがなけりゃ、日常を離れた非日常の世界観のなかでは極めていい加減に時が過ぎていく。締切感覚は与えられてから初めて動き出すようだ。
つまりは結局、会う人ごとに言ってる写真の非日常的遊び感覚が僕を地上から10cm浮いた処で意味のある遊びに昇華してくれているということなのだが、それはどうも体質のようでもあるし、とは言っても日常世界では非日常のそれ、社会とか生活とは真逆にほぼ近かったりして、それはひとつのあるべき生活というもので、これを拒否しては、非日常は成立し得ないのだろう。

毎年、東川国際の感想をここにまとめることをしてきたのだが、(本当はこれが主題のはずだった)
今年の感想は一言二言ですべてと言える。
写真=撮る人と仮に定義するとして、日常を引きずり写真に昇華するタイプとそうではなく非日常のなかで写真と対峙し他人事のように撮るタイプ。
どちらがどうというのではないことを前置きした上でいうならば、前者は結果が出ないと落胆するケースが多いように見えてならない。多分反対に結果が出たときは狂喜乱舞するのではないだろうか?
今まで僕にはそれが理解できなかった。
それは体温の高さとは異質なものだと思うから。
僕は即物的な面が体質としてあるからなのであろうか、理論より事実、考えるより行動、質のまえに量の大きさを信じているんだ。
なんつか、偉そうな文脈になってしまったが、紛れもなく今の自分の本音である。
但し、明日全く逆のことを云わないとも限らないことは申し添えておきましょう~。カッコ笑い
根なし草 NO.3 室蘭+α_e0211037_2238574.jpg
根なし草 NO.3 室蘭+α_e0211037_22391848.jpg
根なし草 NO.3 室蘭+α_e0211037_2239486.jpg
根なし草 NO.3 室蘭+α_e0211037_22404942.jpg
根なし草 NO.3 室蘭+α_e0211037_22412541.jpg

by kazub22 | 2013-08-21 22:44 | book

by kazub22