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ROAST PHOTOGRAPH

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記憶の化石

【見どころ】「日曜美術館」。砂丘に立つ黒いタキシード
のファッションモデルたち。生涯、ふるさと鳥取で写真を撮り
続けた植田正治。代表作の数々に未発表の作品や資料
、アラーキーこと荒木経惟氏のインタビューも交え、世界を
魅了した「植田調」の秘密に迫ります。

2013年12月1日放送 再放送:12月8日よる Eテレ 

http://www.nhk.or.jp/nichibi/weekly/2013/1201/index.html


=kazB
時代が土門拳の絶対スナップ、絶対非演出の風が吹く中でも植田氏の写真は楽しむものであり、いい意味でのアマチュアイズムに深くシンパシーを感じます。

=S
 kazBさん 
それを生涯貫き通せた植田さんは偉大かなと。
私はそう思いますねえ。

=kazB
そうですね、番組中にもあったけど、絶対非演出が写真界を席捲した時、自らの演出写真にいくばかりかの疑いや不安を持ったのだと思います、にも係わらず彼は自分なりのやり方で世界を認めさせた。豊かな感性とセンスといえばそれまでですが、ある種の不器用さ、と逆風をかわす器用さを同時に持ち得たように感じます。僕は今の写真界はデジタル化の多いなる影響があるとはいえ写真の歴史の中で最もアマチュア精神が、つまり良い意味での遊びの精神、言い方を換えるとある意味残酷なまでに感性勝負の時代だと想っています。
そして作品を躊躇なく発表できるタフさ、発表の場を戦略的意志をもって成す行動力がなければと。写真の技術や上手さは2の次どころか、場合によっては・・言い換えるとそのことに依存し過ぎている小銭稼ぎのプロカメラマンは次第に駆逐されていくように感じます。最近、強烈に感じるのは北海道まあ、札幌と言って過言ではないですが、NY、ロンドン、ドイツ、は勿論、仮に東京、大阪と比較しても北海道は写真のどうしようもない後進国、新しい風を入れるか、若しくは新しい風の吹く場所で自分をさらけ出す行動と実しか路は無いということです。写真は写真だけの世界観、価値観では、難しくなっている、広義の意味でのアートの1パートとして位置付けられているのが今とこれからなのです。やや話が反れましたが、主体性とは別物ながら無意識に個の持つ自己確信、ヌエのような掴みどころのないサムシングとでもいうのか、それを貫けるかどうかでしょうか。

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# by kazub22 | 2013-12-02 23:51

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# by kazub22 | 2013-11-21 21:00

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# by kazub22 | 2013-11-21 20:46
PHaT Photo fanclub 札幌支部展
11月20日(水)~24日(日)am10:00-pm19:00(土曜18:30,日曜17:00まで)
中央区南2条東6丁目札幌市民ギャラリー2階 第4展示室

8月の東川国際以来、久しぶりの出展になります。
今回は昨年、他界された故天谷春夫氏、故伊藤真純氏の展示もあり、最大5.2m幅の展示スペースはスケール感が出ると思います。

A1パネル12枚、A3サイズにして48枚で臨みます。
他にスライドDVD2枚、BOOKも何冊か用意しておきます。

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# by kazub22 | 2013-11-16 00:00
自分にとって今年前半の祭り、東川国際フェスタもほぼ満足に終わり、一息ついて後半の祭りBP展へと・・・そのまえにちょこっと旅立って、いいや、それより先に積ん読のシナリオ集、書籍の類を頭に入れてスケッチや散文を書いて遊ぼう~と。なのにな、なんだろう。結局頭の隅は写真から一時も離れようとできないんだな。昨日は春に旅した室蘭を長いあいだお休みしていた根なし草シリーズに製本した。

それはそうと、今年は春って季節がなくて、真冬から一気に真夏になった感じだし、そのせいなのか、それとも未だに秋の気配が感じられないせいなのか、暦と自分の季節感とか時間の経過が狂っているのか妙にのんびりと春の気分、なんていったらいいのか、つまりは1年の半分、折り返し時期をとうに過ぎているにも係わらず気分は一年がこれから始まるようななんとも奇妙な感覚なのです。
良く言えば時の過ぎることも気にならないくらい充実しているともいえるし、一方で無計画に時間だけが過ぎているとも言えなくもないのだが、結局は僕は四季のある北海道の人のはずが、気候がおかしくなったせいで冬と夏の2季の両極にまごついているのかなとも思ったりするのだった。

とはいえ元々、大雑把な計画らしき勝手な決め事はしても、予定は未定にニアイコールだし、例えば東川やBP展のように決められた展示日程というものがなけりゃ、日常を離れた非日常の世界観のなかでは極めていい加減に時が過ぎていく。締切感覚は与えられてから初めて動き出すようだ。
つまりは結局、会う人ごとに言ってる写真の非日常的遊び感覚が僕を地上から10cm浮いた処で意味のある遊びに昇華してくれているということなのだが、それはどうも体質のようでもあるし、とは言っても日常世界では非日常のそれ、社会とか生活とは真逆にほぼ近かったりして、それはひとつのあるべき生活というもので、これを拒否しては、非日常は成立し得ないのだろう。

毎年、東川国際の感想をここにまとめることをしてきたのだが、(本当はこれが主題のはずだった)
今年の感想は一言二言ですべてと言える。
写真=撮る人と仮に定義するとして、日常を引きずり写真に昇華するタイプとそうではなく非日常のなかで写真と対峙し他人事のように撮るタイプ。
どちらがどうというのではないことを前置きした上でいうならば、前者は結果が出ないと落胆するケースが多いように見えてならない。多分反対に結果が出たときは狂喜乱舞するのではないだろうか?
今まで僕にはそれが理解できなかった。
それは体温の高さとは異質なものだと思うから。
僕は即物的な面が体質としてあるからなのであろうか、理論より事実、考えるより行動、質のまえに量の大きさを信じているんだ。
なんつか、偉そうな文脈になってしまったが、紛れもなく今の自分の本音である。
但し、明日全く逆のことを云わないとも限らないことは申し添えておきましょう~。カッコ笑い
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# by kazub22 | 2013-08-21 22:44 | book

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